まー眉を顰めはするけど。
でもそっちよりも、激しく断罪しちゃってるほもたんが、その自信をどこから借りてきたんだろうって方が気になるかなぁ。
だって少し前にはあんな自信喪失なエントリあげてたのに。
これに関しては自分が圧倒的に正しいという確信のゆえか。
ただ裏付け的なものがあるにせよ、「自分が正しい判定を行っている」というのも判断を行う自分への信頼であって。それは自信というべきものか
や、なんつーか引き出してる感じがするんだよね。借りている。権威を? 別に代理を委任されたわけでもないのに。
や、委任されてはいないのだから個人としての振る舞いであると。ではなぜそこまで確信を持てるんだろう。
信教か。本人も宗教対立とか言ってるし。(しかし、どっかの宗教を軽視したら学会員扱いってのもひどい話だ。)(いや教祖を貶められれば信者はヒステリックになるもんか。でもそれ相対的だよなぁ)
でもなぁ。解は信教? で解決?
どうしていいかわからない時、「これは絶対正しい!」があるとそこに力を入れてしまうとかゆー辺りかなぁ。
不安な社会でわかりやすい答えに飛びつくとかそーゆー、うわベタだな。
別に検討をしてないわけでもなく、方向に間違いもなにもないんだろうけど、極端さや過剰さは。
単に世界の狭さ? 確かに2分割しがち。完璧、というか潔癖さ。ある種の汚さに対して「許せない」という感情。
それでいてバカではないがゆえに、その厳しさは自分をも断罪すると。
他人に迷惑をかける(ことをなんとも思わない)DQN的振る舞いに比べると、怠惰は許しやすい。いや許しやすいわけじゃなく、身勝手を行う/行わざるを得ない状態になることに恐怖を覚えるというか
相手と自分がそう違わない存在である、と認めるわけには
「あれは悪い、あれでない自分は善い」、奴隷道徳。
「あれを殺せ」という自分の手は、人を殴ることすらできない。誰かによって裁かれることを望んでいる?(って卑怯じゃね?) 公がそれを裁けってことか。現在の法では器物損壊以上のものにはなるまい。つまり法の宗教化を望む
シンプルな悪への断罪、社会の維持、ただそこに加わるムラ的ブースタ、興味深いのはそれでいて全人類的なメリット(著作権周り、独占への対立)の意識があることで、一方でコミュニティ依存はあり、だからやはり世界観の足りなさなのか
プロファイル持ち帰るのやめようかしら
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