今度こそ健康生活をするぞと決意して、しばらくは続くが戻ってしまう、ということを繰り返している。他人ごとだと思えば期待値は高くない。相当に幸運でも、あと一回これまでと同じ長さを繰り返したところで私は死ぬ。現実的な話だ。これまでの10年20年については幾ら絶望しても足りない。物心ついてから、私は一体何をしていたのか。この想いを抱えたまま、今を延長して、残り数十年をどうにか過ごして死を迎える。そのとき私は何を後悔しているか。この人生で本当は何をすべきだったのか。まだ幾らでも行動できるだけの若さを持っていた、あの輝かしい中年の日々に、一体どんな判断すべきだったのか。それなりに、やりたいこともやっていたつもりだったが、大事なことを我慢してしまっていた。怠惰な日常を維持したいがゆえに、本当にやりたかったことを選ばないまま、安寧を継続してしまっていた。全ては手遅れだ。そこに蒼井翔太がやってきてチャンスをくれる。一度だけ、数十年の時を巻き戻してあげよう。今回だけだよ。手を取られ私は、可能性に満ち溢れた2018年へと、時を遡る。
このグループは2009年まではある程度グループ的に使われていたようだ。
はてなダイアリーは2017年7月に新規登録受付を停止したようだが、グループについては特に何も告知されておらず、現在も新規登録が可能である。
みんな元気でやってるかな。
素直に夢を語るには若干老けすぎてしまっただろうか。夢を考える余裕がなかったのかもしれない。とにかく仕事が嫌で早期隠居をしたくて仕方なかった時代は長く続いた。そして情緒的に落ち着いてしまった。
色々と無駄にした悔恨がないではない。自主的にも環境的にも私という素材をもっと少し活かす現在はあったのだろうと思う。まあ未来以外に可能性はない。情緒の損切りは幾らか上手になった。金融商品で痛い目は見てみるものだ。
昔よりつまらんことしか言ってる気はするんよな。自己評価が下がったわけでもない。むしろカバー範囲が増えて比較的安定している。守勢に入ったのはある。では今こそ改めて匿名アカウントを取得し、自由なインターネットを謳歌すべきだろうか。
アウトプットへの過剰評価はあったかもしれない。自信がない部分があったからこその思い入れ。今見ると大したことはないものを振りかざしていたのかもしれない。どんなものであるにせよ、ゼロよりは価値がある。ゼロは評価のしようがない。
昔、父親が、日曜日、一日中家のことをしまくったあと、夕食の場で「はあ、今日は何もしなかった」と言っていたのは、自己評価が高すぎるのかと思っていたが、今は少し違うのかもと思う。振り返っても何も見当たらないのだろう。